研究内容
開発の経緯
子どもの心臓病-先天性心疾患
生まれつき心臓の構造に異常のある先天性心疾患は、新生児の100人に一人の割合で発症します。
全国で毎年約8,000人の先天性心疾患の赤ちゃんが出生していることになります。
子どもから大人まで含めると、日本には60万人以上の先天性心疾患患者さんがおられることになります。
先天性心疾患の特徴は、
治療の対象となる新生児や乳児の心臓が大人の心臓と比べて非常に小さいこと、病気の種類がたくさんあること、
病気の種類や患者さんによって心臓の立体構造が異なり大変複雑なこと、などが挙げられます。
そのために、主な治療法である心臓外科手術は、技術的に極めて難しいものとなっています。
これまでは、まず小児科医が心エコーや心臓カテーテル検査、心臓CT検査・MRI検査を使って病気を診断し、
その情報を心臓外科医に伝えます。
現在用いられているこれらの画像検査の多くは2次元の画像診断装置であり、
複雑な3次元構造を特徴とする先天性心疾患患者さんの心臓の異常を的確に診断し、外科医に伝えるには限界があります。
一方、最近ではマルチスライスCTや心臓MRI検査により心臓の構造を3次元的に表現できるようになってきましたが、
それらもあくまでも平面画像に影をつけた見かけ上の表現に過ぎず、
モニターに映った画像からは実際の心臓の複雑な構造を理解することは困難です。
外科医が複雑な心臓の構造を迅速かつ正確に把握できるように情報を提供するには、
患者さんの心臓と同じ大きさ、形、感触をもつ心臓模型を作る必要があると、私たちは考えてきました。
動画:心臓模型を用いた手術シミュレーション
心臓レプリカの開発
私どもは約20年前から、当時工業界で普及し始めたばかりの3Dプリンティング技術をこの心臓模型作成に応用できないか模索し始めました。最初は3Dプリンティングで硬質プラスティック製の心臓模型を作成して有用性を報告しましたが、硬い模型のために切開したり縫合したりする手術シミュレーション(手術の予行演習)はできませんでした。そこで、切開縫合が可能で、かつ患者さんの心臓を正確に再現した軟質心臓模型を作成できる技術を持つ企業を探しました。
その結果、2010年より(株)クロスメディカルの共同研究開発を進め、精密3Dプリンティング技術である光造形法に特殊な注型技術である真空注型法をハイブリッドさせ、患者さんの心臓の3次元画像情報から、実物大で切開縫合が可能な柔軟なポリウレタン製の超軟質精密心臓レプリカを開発することに成功しました。2020年には医療機器として申請が受理され、全国で使用できるようになりました。2021年には医師主導治験を終え、現在では保険収載に向けた準備作業を進めています。
さらには、この心臓レプリカの制作時間の短縮とコストダウンを目指して、(株)SCREENホールディングスと共栄社化学(株)との共同研究により、新しい紫外線硬化インクジェット式3Dプリンタも開発しました。水に濡らして保存するため、ウェットタイプの心臓レプリカと呼んでいますが、鋳型を使わないために、さらに細かい心臓内部の構造までも再現することが可能となっています。
ped UT-Heartの開発
一方で、先天性心疾患は心臓の構造が複雑なだけでなく、血液の流れも大変複雑です。心臓内部に大きな穴が開いていたり、どちらか一方の大血管が細かったり、弁が逆流していたりなど、構造の異常が複雑な血液の流れの異常を引き起こします。
したがって、先天性心疾患の治療には、複雑な心臓の形を正確に再現したシミュレータを開発するだけでは十分とは言えず、構造の異常に伴う複雑な血液の流れの異常を正確かつ詳細に検討する必要があります。画像処理技術とコンピューター技術を駆使し、先天性心疾患患者さんの心臓の血液の流れを詳細に再現して検討するとともに、手術後に血液の流れがどのように変化するかを予測することができれば、難しい先天性心疾患の手術をさらに支援することができます。
東京大学と (株)UT-Heart 研究所では、患者さん一人一人の心臓の動きをコンピュータ上で忠実に再現できるマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータであるUT-Heart(成人用)を開発してきました。コンピュータ上に再現される心臓モデルを用いると、患者さんの病気の状態を理解できるだけでなく、様々な治療方法をあらかじめコンピュータ上で試した上で、その中から最適な治療方法を提案できるというメリットがあります。このシステムを発展させ小児の先天性心疾患患者さんに応用できれば、実際の手術前に様々な仮想的な手術をコンピュータ上で行い、個々の患者さんに最も適した手術方法を提示できる可能性があります。
私たちは、この成人用に開発されたUT-Heartを、小さく複雑な立体構造を特徴とする小児の先天性心疾患患者さんの治療支援に応用するために、ジャパンメディカルデバイス(株)、(株)P I Aの協力を得て、新しいシミュレータであるped UT-Heartを開発しました。現在、新しく開発されたped UT-Heartが、先天性心疾患患者さんの心臓手術において、最適な手術方法の選択と治療方針の決定を正しく導くかどうかを臨床試験を行うことにより検討しています。
ped UT-Heartのシミュレーションプロセス
心臓シミュレータUT-Heartを小児先天性心疾患の解析に特化、改良し、これを3次元実態心臓モデル「心臓レプリカ」と補完・協調して活用する新しいシステム”ped UT-Heart”として開発します。
コンピューター上で仮想手術を実行し、各々の術後の血行動態を予測解析することで、患者さんのQOLにとって最適な術式を提案することが可能となります。従来、術者の経験と勘に頼らざるを得なかった術式の決定を合理的なものとし、成長する小児患者の生涯にわたる生活の質を良好に維持することを実現します。